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§ リンナ ナムを助手席に乗せて、リンナのレジャー・ヴィークルは市街を走っていた。 冬には珍しい穏やかな陽光、快適な走りとは裏腹にリンナの気持ちは晴れなかった。 結局、プリスは喋らなかった。 今、隣のシートに腰掛けているナムという少女は、その時、脅えた表情のままプリスの後ろに隠れるように立っていた。リンナは、プリスとこの子を一緒にしておいてはいけないと直感的に感じ取った。 だから…。 無理やり連れて来たのだ。 本当は、飛び出して行ったプリスが気になって、それとなく様子を見に来た。事故のとばっちりのせいで当分ジムへも出られない。いつもならきっちり詰まっているはずの時間が空いた。 それで、プリスのところへ立ち寄った。 軽い気持ちだったんだけど、とんでもないことになってしまった。 リンナは思った。 プリスは、ナムの腕をとり、出ていこうとするリンナを止めようとはしなかった。 『…シリアに教えるのか』 フロアに座り込んでいるプリスが静かに訊いた。ほんの何秒かリンナは答えをためらった。その無言の間に周囲の空気が緊張感で張り詰める。 プリスは立ち上がり、正面からリンナを見つめた。 『私は…、言わないわ。あなた自身が、シリアに会って話すべきだと思う…』 『ああ』 高まっていた緊張感がふと緩んだ。 『わかってる…』 リンナの答え次第では、プリスはナムを連れて行くことを許さなかったかも知れない。しかし、プリスは黙って二人を見送った。 「…きれい…」 リンナを回想から現実に引き戻したのは、隣に座る少女のつぶやきだった。 「?」 ナムはドライバーシートからのリンナの視線に気づいて、サイドウインドウに寄せていた顔を引き離し、前方を見ながら座り直した。 「きれいな街なんですね」 「…ティンセル・シティが、きれい?」 「はい」 小さく頷き頬をほんのりと赤らめている。 この子って本当にブーマなのだろうか。 リンナは思った。 シルヴィーの時も、そうだった。 この子と人間とどう違うというのだろう。 考えながら、車の動きに合わせて変わる風景に注意を移した。 視界の左右を流れ去っていく高層ビル群は、昨夜から降り積もった雪を頂いて、午前の陽射しをまばゆく煌めかせている。白く薄化粧を施されたMEGA・TOKYOは、住人であるリンナでさえ見たことのない輝きを放っていた。 大きくて、雑然として、うるさくて、無神経で、冷たくて…。 普段なら、そんな形容詞しか思い浮かばないリンナも、今なら彼女の言葉に素直に頷けた。 「そうね。私も、そう思うわ」 「初めてなんです。街も、雪も…」 目の前に広がる空とそそりたつビル、あるいは通り過ぎるショーウインドウや道行く人の姿に、ナムは視線を奪われているようだった。 「初めて…?」 緩くカーブを切りながら、リンナは訊き返した。 「私、私たち…ずっとステーションに閉じ込められていましたから」 言ってしまってから気づき、ナムは慌てて自分の口に手をやった。 「言いたくないことは、黙っていていいのよ」 リンナはナムの方を見ないで、運転を続けた。 「すいません…」 「プリス、話さなかったでしょう?」 ナムはハンドルを握るリンナを見やった。 「シルヴィーを死なせてしまったって」 「!?」 リンナの言葉にナムは大きく目を見開いた。 「彼女、私たちも驚くくらいシルヴィーのこと気に入っていたわ。シルヴィーはきれいだったし、とっても気がつく頭のいい子だった。でも、プリスの入れ込み方はそれだけじゃなかったわ。だから、シルヴィーのことは、凄いショックだったのよ」 そう言うリンナもまだ本当のことは話せなかった。 車は既に市街の中心部を抜けて、リンナのマンションへと近づいていた。 「目の前で…」 「そう。ずいぶん長い間、立ち直れなかったみたい。シルヴィーの死が原因で、私たちの仲間から抜けようとさえしたんだもの」 「私、分かりません」 ナムは大きく頭を左右に振った。 「あなたや、プリスさんは、私やシルヴィーのことを本当に知ってるんですか。知っていて、それで、私に…」 「知っているわ」 静かにリンナは応えた。ナムはリンナの一言を聞いて、呪縛されたように喋れなくなってしまう。 「私たちのような人間ではないって」 リンナはブレーキを踏んだ。信号が変わっていた。 視線だけで助手席のナムを見る。顔が真っ青だった。 「…それが私のもう一つの仕事だから」 「じゃあ、なぜ!」 泣き出しそうなナムに、リンナはステアリングを握ったまま、ほんの少しだけ肩をすくめて見せた。 信号が変わった。リンナは車を出した。 「知っているというのも本当。そして、シルヴィーを友達だと思っているのも、本当。だから、あなたを突き放せない」 前を見つめてリンナは続ける。 「正直、私も分からないわ。あなたを連れて行くのも、半分はプリスのため。だけど、残りの半分は、仕事だから」 車は地下へ入る。マンションの駐車場だ。雪の白い反射が消えて室内灯のオレンジの輝きが取って替わる。そのせいか、ナムの頬は固い陶器のように強ばって見えた。 「そんなに警戒しないでもいいわ」 契約した場所に車を着けると、リンナはエンジンを切った。 「プリスとの約束は守るからね。だけど、しばらくは私のマンションに居て欲しい」 シートベルトを外し、リンナは車を降りた。 ナムはじっと座っていた。 一刻も早くメグやルウに会いたい…。 でも…。 昨夜、プリスのコンテナハウスに残ろうとした時と同じ迷いが、ナムの心の中に渦巻いていた。 やっぱり、だめだ。 きっと、メグならこの人の好意をはねつけてしまえるのだろうけれど…。 彼女には、人に人として接してもらった経験はない。ステーションでは、常に彼女は物体でしかなかった。いいように扱えるおもちゃでしかなかった。 だから…。 今、ナムをブーマと知った上で差し伸べられた手を拒絶することは、彼女には出来なかった。 信じよう。 また、裏切られるかも知れない。 でも…。 信じよう。 ドアを開け、ナムは車を降りた。 「行きましょう。こっちよ」 ナムを迎えたのは黒髪をヘアバンドでまとめた女性のにこやかな笑顔だった。彼女の指先で車のキーがくるりと宙に輪を描いた。 「はい」 ナムもぎこちない笑顔で応えた。 二人は並んでエレベータへと向かった。 |
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