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§18 戦闘と未来 「パラノイド母艦1、戦艦4、ドローン多数、急速接近!」 オペレーターの緊張した声がブリッジに響く。 「しびれを切らしたみたいですね、やつら」 「いままでもったほうが不思議だったくらいだもの」 ラビィは大きくため息をついた。 つかず離れずで輸送艦隊を追跡してきたパラノイドだったが、母艦に向かう気配もあらわれないのにとうとう輸送艦隊だけをつぶしにかかったのだ。 「いくら追ってきてもクラカタウにはたどりつけないのは当然だけどね」 「たどりつけますか」 リスカムに訊かれて、ラビィは立ち上がった。 「たどり着いてもらわなくちゃ」 二人が言っているのは無論、ティラーのことだ。 いったん目を閉じ、深く息を吸い、そして吐いた。 クラカタウに救援を求めるのは避けた。報告を入れ、表向きの予定コースを伝えただけだ。だから、助けは来ない。ここにはたどり着けない。来るとしても、正しいコースを知っているエルザたち、そしてルフィー。 間に合うか、間に合わないか。 ラビィは目を開いた。 「全艦、戦闘体勢。輸送艦にやつらを近づけるな!」 「全艦、コンバット・フォーメーション!対弾シールド全面展開!」 リスカムの復唱の声とともにアララトの艦内にアラート・サイレンが鳴り始めた。艦隊最後尾についていた、反転し艦首を接近するパラノイド艦へと向けた。 「つくづく損な性格ですね、艦長は」 あわただしく声が飛び交うブリッジでリスカムがぽつりと呟く。 「え…」 「そうじゃないですか、助けたいと思った連中には手をさしのべられず、こんどはこんなところで盾にならなきゃいけないんですから」 「なによ、いまさら」 「いけませんか」 うつむいていたリスカムが顔をあげた。頬に白く傷跡が浮かび上がっている。 「一回ぐらいは言わせてください、そんな艦長にずっと付き合ってきたんですから」 真顔のリスカムにラビィはいまのが冗談なのかそうでないのか、判断がつきかねた。とまどっているラビィに向けてリスカムは続ける。 「これが片づいたら、少しは自分のことも考えるようにしてください」 「…ええ、そうしましょう」 どちらでも、いいか。 ラビィは思った。 「敵ドローン、射程まであと10マール」 レーダー・コンソールからの声が二人の注意を引き戻した。 「射程に入り次第、光子弾速射。ありったけをばらまいて。ブロンクス全機、フルオート・モードで射出」 「了解!」 キャプテン・シートからコンバット・シートに向き直り、リスカムは具体的に指示を出す。その背に向かってラビィはささやくように伝えた。 「最後の手段はレプリション炉のスタンピートよ。母艦に突っ込むまでは船体をもたせるようにして…」 「…わかりました」 リスカムは静かに応えた。 パラノイド艦は横ー線に展開していた。アララトの正面に母艦、左右に2隻ずつの戦艦を並べ、ドローン群はその前衛をつとめる形でまっすぐに艦隊に向かってくる。アララトはすでに最大射程で猛烈な光子弾の弾幕を前面に張っていたが、左右両端のドローン群が、球面上に張られる弾幕を回避し始めていた。回り込んでくる戦闘ドローンはブロンクスと、ビームの遠距離射撃でなんとか侵入を阻んでいた。しかし、パラノイド艦との距離が縮まるに連れて、戦艦からのビームがアララトに集中し、事態は悪化した。 「艦首、第2ランチャー群に被弾」 腹の底から身体を揺さぶる衝撃が続いた。ラビィはキャプテン・シートのハンドレストを押さえた。 「被害は?」 顔を上げ、声を張り上げる。 「応答ありません。ランチャーにも反応なし」 「ブロンクス02、04、通信途絶」 リスカムがラビィを振り返った。 「このままでは突破されます、後退しましょう、艦長!」 「でも、」 「戦艦のビーム射程内にいては叩かれ続けるだけです。これでは、ドローンの阻止も不可能になります」 ラビィは唇をかんだ。 「輸送艦隊との距離は」 「150マールです」 ばらばらに光速圈に逃げさせても、追いつかれる。それならば、いっそクラカタウに救援を求めるか。 ここまで来たのに…。 「37からの連絡は」 「まだ、ありません。しかし、すでにこちらへ向かっているはずです。とにかく、今は後退して時間をかせぐしか!」 紅潮した頬に白い傷跡が浮き出している。 「艦首Aパートに被弾!」 「右舷Fパートに被弾、Fパート12、13ブロック閉鎖します!」 ラビィが考えている間にもオペレーターの悲鳴のような報告が続く。 …今、下がったとしても、ただの時間稼ぎ。 一瞬、静寂がブリッジを支配した。報告の声も、船殼を揺るがす被弾の衝撃も、ふっつりと途絶えた。 何をすればいいのよ! ラビィは叫びたかった。パニックになる寸前だった。 誰かが息を呑んだ。 「右舷、いえ、左舷にもです、両舷約10マールに転移反応、光速圏から何か来ますっ!!」 正面パネルをラビィ、リスカムは見上げた。航法コンソールのオペレーターがコンソールに指を走らせ、画像を左右に分割する。 宇宙空間が光った。何もあるはずがない場所に光の渦が生じた。 ライトブルーに塗られたほっそりとした船体が出現した。右舷に同形艦が2隻。左舷にはトリマラン・タイプの大型艦と右舷の艦と同形が1隻。 ラビィはフロアを蹴るようにして立ち上がった。 「味方ですっ!!」 オペレーターが歓声をあげた。いくつもの声がエコーのようにかぶさり、ブリッジに歓声があふれる。瞬間、4隻の船体か光る。斉射だ。光子弾とビーム砲の一斉射撃だった。光の柱が漆黒の宇宙空間を突き進み、パラノイドの戦闘ドローンが次々に火球になって飛散する。 「いまごろになって…。遅すぎるんだから、ほんとに」 ラビィは、ひとすじこぼれた涙をぬぐった。不満よりも感謝の気持ちに満ちた口調だった。 「左舷の大型巡恒艦より通信です」 「メインパネルに出して」 もう一度涙をぬぐうとラビィはシートに腰を下ろす。 「さらに転移反応を確認、前方やはり10マール!」 「前って…どういうことだ」 それまで茫然と立ちつくしていたリスカムが訊き返した。 「まさか、向こうの増援じゃあ」 “その心配はないわ” 声のするほうを振り返ると、メインパネルに緋色のバイザーが映っていた。ヘルメットを脱ぐとルビーレッドの髪を片側に流した顔が現れる。 “遅くなってごめんなさい。あっちとタイミングを合わせてたものだから” 「あっちって…」 “ルフィーよ” 「パラノイド艦近傍に多数の戦闘機を確認!」 報告の声がエルザの言葉を補足した。それを耳にしてラビィはほっとため息をついた。 「来てくれたのね」 “いろいろあったらしいけれど” そこでラビィは表情を引き締める。 「今はこれで食い止められるけれど、どうするの。後続のパラノイド艦隊も必ず出てくるわ」 “それも、いろいろ、のうちに入ってるわよ” “見てのお楽しみ、てね” 声とともに画面にひょいと頭を出したのは、案の定、パティだった。 状況を把握できていないラビィとリスカムは顔を見合わせるだけだった。通話画面の背景ではパネルに浮かぶ4隻の巡恒艦が光子弾の斉射を繰り返していた。 光速圏から離脱すれば、そこはもう戦場だった。 ちっとばかし誤差がでかかったか…。 「こちら00、全機、いったん正面に全速離脱」 真下にパラノイド母艦を確認したルフィーは口もとのマイクに怒鳴った。メインスラスターをフルパワーで吹かした。 “02、了解、続きます” すぐさまクリスの声が返ってくる。 “03、同じく” “06、確認” “04、了解です” “05、了解” 聞き慣れた声が戻ってくる。ルフィーは小さな笑みを浮かべた。 他の小隊、分隊も同じような点呼をとっているはずだった。単純な “弾道飛行” ではなく、攻撃機の編隊をまるごど “弾道飛行” させた場合は、編隊か大きく広がってしまっている可能性が高い。確認は不可欠の手順だ。 さしてばらけていないのはラッキーだな。 コクピットのディスプレイで分隊各様の位置を確認してルフィーは一安心した。 飛び入りの2機もきっちりついてきている。 “こちらシルディー、01、異状なし” “07、スピア、こっちも良好” 「上等だ」 各機は追尾してくる多弾頭ミサイルを振り切ってフォーメーションを組み上げる。2機ずつのペア。そしてさらにペアを組む。774としては変則的だ。00と02、01と07がグループを作った。 さて、お手並み拝見だぜ。 ルフィーは今一度戦術情報パネルを確認する。 「第1分隊は、これより反転、パラノイド母艦を叩く。目標艦5隻以外にも、増援の可能性はある。警戒を怠るな」 大きな弧を描いて編隊が反転する。 「…おそらく、目の前にいるのが最後の獲物になる、抜かるなよ!」 “ショットダウン・エンジェルも、うち止めですか” “あーあ、これでボスを追い抜く可能性がゼロだわ” “もとからゼロだったんだろーが” イーラムとクリーシーは相変わらずうるさい。 バカどもが…。 ルフィーは呟いてみた。 選択は間違っていなかった。ふとそう思った瞬間だった。 「そろそろくるぞ、弾幕だ」 その言葉が終わるか終わらないうちに攻撃機のレーダーが無数の多弾頭ミサイルを捉えた。 第一波の多弾頭ミサイルを、広域・フルオートの光子弾を使いかいくぐったシルディーとスピアは機体を平行に並べるようにして、パラノイド母艦を目指していた。どこにいったのか、00と02の姿は目視範囲にはない。戦術情報パネルに視線を落とす。 いる。他の分隊機とー緒に、右にやや離れただけだ。 “なかなかいい機体だわ” 「調子に乗っちゃだめよ、くせもなにも分かってないんだから」 シルディーは軽く注意を促した。二人とも、操縦はみっちり叩き込まれているが、なにしろ実践経験が乏しい。特にアタッカーズとは比べ物にならない。 フォーメーションをもとに戻そうと、針路は右寄りに選ぶ。 “あんな大物、はずすわけないわ” 「当てることより、撃墜されないことを優先よ」 そういっている間にも目標との距離は縮んでいく。 “第二波のミサイルだ、一気につぶすぞ、コントロールまわせ” 今度の声はルフィーだった。 ノイズまじりの声だが、とても自然な調子だった。 ショットダウン・エンジェルと同じ戦場にいるのか…。 思った。 最初で最後。これが本当に最後の戦い。 “シルディー” スピアの声がとりとめのない思考から、目の前の戦場へと注意を引き戻す。 「わかってるわ、光子弾よし、モードは広域、フルオート」 “了解、シンクロ完了” シルディーのバイザー・ディスプレイに自機01のトリガーサインが点滅した。一拍おいてシルディーは自分の機体の両翼から光子弾が放たれるのを感じた。身震いするようにコクピットを揺さぶって、4本の光の矢が突進する。光の矢は弾け、さらに細い光の矢に分裂する。 “00から各機へ。爆光確認後、最大加速で突入、母艦を叩け!” 前方から向かってくるミサイル群も既に子弾頭をばらまいている。無数の光点が索敵スクリーン上で衝突しようとしていた。 「01、了解」 シルディーが応えた瞬間、前方視界を右から左へよぎるように、まばゆい閃光が走った。一瞬にしてそれが無数の光球に変わる。バイザーの色が光量を絞るように暗くなった。 「01、突入!」 声とともにスロットルを前回に叩き込む。ミッドナイト・ブルーの攻撃機は大型ミサイルを抱いて速度を上げる。やや歪んだ横一線のフォーメーションで、第一分隊の8機はパラノイド母艦に肉薄した。 “第3小隊より連絡、遮へいフィールド破壊に成功、撤収開始したそうです!” 誰の声かはわからなかったが、タイミングの良さにルフィーはにやりと笑った。 キャノピーごしのダークパープルの船体が膨れ上がる。標的ロックを告げる甲高い連続音が耳もとで鳴り続けている。機首と両翼の自動鉄塔はパルスレーザーの弾幕をばらまき続けた。連続して至近距離で火球が炸裂し、機体を揺さぶる。 しかし、ルフィーは針路を維持した。 もうちょい…。 真横のバーニア噴射で機体を横滑りさせ、ビームを避ける。続けざま、今度はカウンター方向に横滑り、機首方位を修正する。バイザーモニターの表示と、ヘッドアップ・ディスプレイ上のターゲットは完全にシンクロしていた。 行けっ…! トリガーを絞った瞬間、ぐいっと身体がシートに押しつけられる。そのまま機首のバーニアを全開、無理やり機首を持ち上げた。離脱開始だ。 ルフィーはショートレンジ・モードのディスプレイに目をやった。 両翼の大型ポッドから放たれた6基の対艦ミサイルを表す輝点が猛スピードで画面を滑っていく。一直線に、あらかじめ引かれたライン上を走る。 そして、ターゲットに吸い込まれた。 全弾命中、確認。 幾度か瞬き、その場にとどまっていようかと迷うそぶりを見せていたが、ディスプレイ上のターゲットのシンボルが消える。数瞬置いて、機体がなにかに煽られるように不安定に揺れる。衝撃波が00、ルフィー機に到達したのだ。 “こちら02、全弾命中と敵艦破壊を確認、離脱中” “おーい、当てたのはおまえだけじゃない、06、イーラム、全弾命中を確認” クリスの報告にイーラムが割り込む。 またか。 ルフィーはにやりと笑った。僚機の無事を戦術情報パネルで確認した。 「戦果確認はデブリーフィングで行う、各機はただちに予定ポイントヘ向かう。収容準備が出来ているはずだ」 了解を伝える短いメッセージが、次々に返ってきた。ルフィーもコースを設定しなおし、機首を大きく振った。 終わりか…。 あっけない気はした。 しかし、不満はなかった。自分の両手で支えられるだけのことを、ぎりぎりまでやった。やっている。偽りはない。 ルフィーは思った。 “こちら01、00どうぞ” シルディーからの呼び出しだ。 「00だ。なかなかの腕前だったな、正式採用、オーケーだ」 “無事に切り抜けられてほっとしています。でも、アタッカーズは廃業ですよね” らしい答えだ。 クリスやラビィに似た感じだからな。 「そうとは決まってないさ。が、とーぶんは教官しかやることはあるまいよ」 “向いてそうですけれど、中佐には” むこうでシルディーが笑ったのが分かる。 こいつ、何のために呼び出したんだ。 奇妙な二人の会話に、聞いているはずの他の6人は割り込んでこない。 “これで終わりなんでしょうか” もうなにも言ってこないかと思うほど沈黙が続いた後で、ため息のような言葉が聞こえた。 終わりか…。 ルフィーは今一度繰り返した。 「終わりというよりは、始まりなのさ」 そうだ。 ソルノイドの未来は、もうオレたちの手から離れてしまった。いや、もとからオレたちの手が届くところにはなかったのかもしれない。 ただ、これだけは確実に言える。 オレたちの未来はこれから始まる。 ルフィーは信じていた。 コクピットのディスプレイには誘導信号を発する巡恒艦の艦影が現れていた。 マイアロイは展望室から瞬かない星を見ていた。両肘を窓にそって設置されたハンドレールに突いて、船団が向かったはずの方角を見ていた。 まだ痛む。 さすがにもろに喰らったからな。 ただ一カ所うけた傷らしい傷。そのことを考えながらマイアロイは待っていた。 クラカタウの表層ブロックには幾つもの天測室がある。天測室には隣接するようにして外壁すべてが分厚い透明結晶板で構成された展望室があった。 展望室も天測室もコンバットフオーメーションになれば、装甲の下に引き込まれてしまうのだが、戦場からずっと離れた宇宙空間を航行している現在、展望室の窓は漆黒の宇宙空間の眺望を訪れるものに保証している。 恒星破壊砲を置き去りにしたクラカタウ艦隊はパラノイド艦隊に補足されなかった。支援艦隊を幾つか急派したが、予定通りの針路をとり続けている。恒星破壊砲に引き寄せられたパラノイド艦隊は、同形艦であるキラウエアを中心にした艦隊の迎撃を受けているはずだった。 この程度の痛みと引き換えに、成功したんだ。得な取り引きだったといえるかな。 マイアロイはあえてそう考えることにした。 火の点いていないブースト・ドラッグを唇にくわえ、彼女は宇宙を見つめていた。 他には誰もいない。 これで終わりかな。 後悔はなかった。 しかし、理性ではどうしても抑えられない何かが、心の底に重く沈んでいる。 行ってしまったか…。 かっこつけずについていければな。そうできればよかったんだけれど。 小さくため息をついた。 背後でシャッター・ドアの開く、ささやくような音が、がらんとした展望室の円蓋に響いた。規則正しい足音がゆっくりと近づいてくる。足音はマイアロイと並び、そして止まった。 「予定通り終了した」 あいかわらず気に障るものの言い方だな。 マイアロイは思った。 しかし、これでやっと安心できる。 「なんともなかったかい、ケガだとか」 「被害は予想よりも小さかった。手際が良かったから戦闘になるまえに片づいた」 「キミにけががなかったかって訊いてるんだけどな」 くわえていたブースト・ドラッグを指でつまむと、マイアロイは隣に立つ相手の顔を見つめた。 黒い角ばったアイグラスが両眼を覆い隠している。表情を変えない白い肌。見事なブロンドの髪とアイグラスと同じ黒の制服。両手にはめた肘までの真っ白な手袋。 そこにいるのはユノーだった。 「無意味な質問だな。身体の8割が人工物の私には、負傷など意味のない言葉だ」 「生か死か、ってわけか」 「機能しているか、していないか。それだけだ」 ユノーはまっすぐに展望窓の彼方を見ている。横顔の白さ、金色の髪、黒いグラスの反射が無機的なイメージをいっそう強調する。 無理に割り切ってみせないで欲しい。 それじゃ、いまのわたしと同じじゃないか。 マイアロイは薄く笑った。さらに尋ねる。 「彼女たち、何も知らずに行ってしまった。嫌われたままで、悲しくないのかな」 「…悲しい?」 その単語を耳にしたことがなかったかのようにユノーは繰り返した。そして、展望室に入ってきてから初めてマイアロイを見た。黒いアイグラスに映った自分自身の姿をマイアロイは見た。 「知っているか」 「何を?」 「なぜ悲しいという感情が起こるのか、その理由だ」 ごく当たり前の説明をわざわざしてやっている、そんな感じのつまらなそうな口ぶりだった。 「分からないな、見当もつかない。教えてくれる?」 マイアロイはお手上げというように両肘の脇で手のひらを天に向けて開いてみせた。 「涙が出るから、悲しい」 がらりと声が変わっていた。 いや、それはマイアロイが感じただけだったのかもしれない。ユノーの表情を包んでいた冷たい金属のような感触、空気がいつのまにかなくなっていた。 「悲しいから、涙が出るのではない」 気づくと黒いアイグラスの下で、ユノーの唇が穏やかに微笑んでいた。 ずいぶん久しぶりだ。 マイアロイは思った。 忘れかけていた。古い友の笑顔。 たちの悪い冗談が大好きだったやつ。 「だから、悲しくなどない。ただ、ひどくつまらないだけだ」 「つまらない…か」 そうだ、私は、つまらないと思っていたんだ。 マイアロイはその言葉に心を動かされた。 ユノーが頷く。 「あれだけ生きのいい連中には二度と会えまい」 「ああ、そうだ。そうだよな」 つまらない…か。 マイアロイは口の中で繰り返した。ハンドレールを掴み、今一度展望窓の外を見やった。ユノーも同じように闇の彼方を見つめた。 もう当分、こんなことはない。 つまらないよ、確かにね…。 小さく呟く。 ふと目の前に銀色のケースが差し出された。開いた蓋の中に白いブーストドラッグが並んでいる。ケース越しに視線を上げれば、いつものように無表情なユノーの顔があった。 「シュヴァルツだ」 「でも、」 中指と人挿し指に挟んだままの白い円筒を示してみせると、ユノーはかすかに頭を振った。 「たまにはきつめのを試すことだ」 そういいながら細く長い白い円筒の一本をつまみとる。マイアロイは、右手のブラン力をケースに戻し、かわりにシュヴァルツを一本取った。 「たまに、きつめ…か」 「私にはもう効かないがな」 これが、いつも通り。 マイアロイは思う。 「残念だな、それって」 「仕方あるまい」 晴れ晴れとしたマイアロイの笑顔に、ユノーは無表情に頷いた。 二人はしばらく無言で、漆黒の宇宙にはめ込まれたような光の群れを眺めていた。 |
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