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  CROSSING


 晴れた午後だった。
 夏休みが明けて、新学期が始まったばかりの時期、図書館は珍しく落ちついた雰囲気に包まれていた。人影もまばらな閲覧室では、何人かが思い思いの場所に席を取り静かにページをめくっている。
 不意に灯りが翳った。机の上に広げた本とノートの上に人影が落ちた。
「熱心だな、何を読んでいるんだい」
 肩越しにすっと長い腕が伸びて、白い指が開かれている本のページを繰った。
 慌てて顔を上げようとして、髪が後ろに立つ誰かに触れた。
「…はるかさん」
「ごめん、おどろかせちゃったかな。そこから見えたものだから、つい」
 昼下がりの図書館は珍しく人影もまばらで、小声の会話でも思ったよりも大きく響く。実際のところ、いきなり声をかけられて、とりとめのない物思いから呼び起こされたのだ。ちょっとした不意打ちというところだった。
「いえ、構いませんけれど…」
 見上げた前髪を透かして、机を覗き込むはるかの整った顎のラインが見える。
「受験勉強かと思ったら、そういうわけじゃないんだ。随分難しそうな本じゃないか」
「ちょっと、気になって」
 亜美はどう応えていいか返答に困り、ごまかすように微笑んだ。はるかは、いつも通りのそつない笑みを浮かべているが、視線は鋭い。
「隣、いいかな?」
「え、ええ」
 耳元で囁くように訊かれて、亜美はぎこちなく頷いた。こんな間近で、しかも一対一で言葉を交わすのは初めてだ。気のせいか頬が熱い。
 女の人だってわかってるんだけど…。
 うさぎちゃんや美奈子ちゃんが騒ぐの、当然だわ。
 でも、ホントに困ったな。
 亜美は思った。
 確かに、受験勉強をしていたわけではない。公立図書館を訪れるのは基本的に、息抜きの時間だ。気の向くままに、書架から本を抜き出し、めくってみる。単にそれだけのことなのだが、その度ごとに眼前に見知らぬ世界が展開される。尽きない好奇心を、さらに刺激され、脳裏にさまざまな情景が結ばれては消えていくのを追うだけであっという間に時間が過ぎていく。
 自由で拘束されない時間だ。
 でも…。
 はるかに声をかけられた、今は違う。
 ピュアな心。
 幾つもの考えが、その言葉を中心に、とりとめのない泡のように結んでは消えていった。
 いったい何のために。
 それが最大の疑問だった。
 続いて起こる事件は、みなそうだ。
 レイちゃんが狙われたのが最初だった。いつの間にか、私たちはその事件に深く関わるようになってしまった。
 新たな敵、そう言い切ってしまっていいのかどうかも分からないのだが、彼らは “ピュアな心” をキーにして、“タリスマン” を探している。
 タリスマン…。
 無論、適当な辞書をひけば説明は書いてある。だが、そんなものは問題ではない。彼らが、“タリスマン” と呼ぶものが何なのかが重要なのだ。
 名前というのは、常に記号でしかないのだから。
 亜美は思った。
 真実がすべての言葉の表層に刻まれていれば、ね。
 月の王国も滅びはしなかったかも知れない。
 記憶の中の出来事であり、今の現実とかけ離れた、遙かな過去に起きた事ではあるのだが、彼女の魂には、重くのしかかっている事実だ。
「どうしたんだい、急に黙り込んでしまって」
「あ、あの、何でもありません!」
「ぼくなんかと一緒だと迷惑かい?」
「そ、そんな…」
 隣のパイプ椅子に腰を下ろしたはるかは、面白そうに亜美の表情を見つめている。



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