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§ 展開


 リンナは広いリビングルームを見回した。
 一方の壁全てを使って開かれた窓から、陽の光が射し込んでいる。
 弱々しい冬の日光でも、これくらいたっぷり量があれば十分暖かさを感じられる。
 うちもこれくらいあったらな。
 比較してもしょうがないのだが、ここに来るたびにリンナはそう思ってしまう。
「シリアもあの子たちもいないんだったら、もうちょっと寝てればよかった」
「姉さんはどっかに出かけちゃいました。ナムさんとメグさんはジムの方です」
 ガラス製のテーブルにコーヒーカップを並べながらマッキーが答えた。
 暖かな湯気のたちのぼるカップを手に取ってリンナは尋ねる。
「大丈夫なの?」
「一応、プリスさんがついてるんですけど…」
 マッキーの表情が曇る。
「だったら、余計心配じゃないの」
「ナムさんの方はいいんですけど、メグさんが」
「…昨日の今日だから、無理はないかもしれないわね…。そっかあ…」
 カップをテーブルに戻すとリンナはソファに体を沈めた。
「ぼくもここを片付けたら、すぐに戻るつもりなんです」
「シリアは何か言ってなかったの」
 黙って首を左右に振るマッキー。
 らしいやり方よね。
 リンナは思った。
「体調はどうです。昨日、だいぶやられたらしいですけど」
 マッキーもリンナの向かいに腰を下ろす。
「なんともないって。ネネやプリスなんかとは普段の鍛え方が違いますからね。それより、シリアはどうなのよ」
 ソファから身を起こすリンナ。
 昨日の戦闘でプリスやリンナを助けたシリアは、アラクネの反撃にあって、ハードスーツの脚をひどくやられていたのだ。
「ええ、大丈夫です、軽い火傷だけでした」
 じっとマッキーの表情を読むが、格別嘘を言っているような様子はない。
 隠すつもりなら弟に見抜かれちゃうようなシリアではないけれど、今は素直に信じてておきましょうか。
「なら、安心だわ」
 どさっとまた体重をソファにあずけた。
 助けて貰った代わりに大怪我されたんじゃ、寝覚めが悪いものね。
「そうすると気にかかる件もなしだし、当分、わたしは役立たずってとこね」
「本調子じゃないんですから、休んでた方がいいんじゃないですか?」
「なま言うんじゃない、マッキー」
 笑いながらリンナは立ち上がる。
「今夜、レーヴィン博士がジムに来るそうです。姉さんからは、それまで待機しとけって、それだけで…」
「だったら、もう少し寝かせてもらうとしましょう。用があったらいつもの伝言サービスにコールしといて」
「わかりました」
 マッキーは頷きながら部屋の隅、ハンガーにかかっているリンナのダウンジャケットを取りにいく。
 リンナは、ぐっと身体を反らして大きなのびをする。
 連日連夜のお務めじゃ、怪我人の身としては堪えるわ。
 今日はなんにもなしにしてもらいたいな。
 四肢の調子を軽く確かめて一安心するリンナ。
 こっちは普段の訓練のおかげでなんとかなるけど、睡眠時間はきちんとおさえなきゃ、いざというときに動けない。
 ここは大人しくマンションに帰る、か。
 リンナは思った。
 マッキーからダウンジャケットを受け取って袖に腕を通す。
 ドアのノブを握ったところで思い出したかのように振り返った。
「プリスのこと注意しといてね」
「あ、はい」
 マッキーの肩がぴくりと動いた。不安そうな顔色が少し明るくなる。
「シリアのやり方もわかるけど、普通に気を配ってあげて。マッキーのやり方でね。それだけ、よ」
 リンナは、一つウィンクを放つとドアの向こうに姿を消した。

 窓一つない仮眠室は静まり返っていた。
 どこからかかすかに換気装置の低い唸リが響いてくる。それだけだ。
 プリスは簡易ベッドにひっくり返って天井を見つめていた。
 寝ぐらに帰っても良かったのだが、プリスはジムに残ることを選んだ。
 少しでも目を離すと、シルヴィーやアンリのように、二人が二度と手の届かないところへ行ってしまうような気がしてならなかったからだ。
 眠れなかった。
 何を考えていたわけでもない。
 ただ、暗い部屋の中でじっと動かないでいただけだ。
 時間が過ぎるのを待っていた。
 ぼんやりとシルヴィーの声が聞こえた。
 そう思った。
 “プリスらしくないわ、そんなの”
 どこか困ったような表情でプリスを見ている。
 わかってるさ。
 黙ったままプリスは応える。
 けどさ、けっこう辛いんだぜ。
 “いつもの、普段のままでいてほしいの”
 シルヴィーの声は続いた。
 “ステージで輝いている姿を見せてよ、もう一度”
 ステージか。
 そういえば…。
 プリスは思い出した。
 もう、来週だったんだよな、ホットレッグスで。
 すっかリ忘れちまってたぜ。
 その時、ノックの音がした。
 両手をついてベッドの上に身体を起こす。
「なんだ」
「ナム、です」
「ああ」
 開け放たれたドアから流れ込む光を背景にナムが立っている。プリスは目の前に手を翳しながら応えた。
「どうかしたか」
「あの、コーヒー、滝れたんですけれど…」
 なんだ、そんなことで…。
 また気の重くなるような会話が始まるのかと身構えていたプリスは、その言葉にふと肩の力を抜いた。
 安心した、そう言ってもいいだろう。
 おどおどとした不安そうなナムの態度が、プリスまで不安にさせるのだ。
 プリスはそれに気づいた。
 まったく、オレらしくないよ。
 ここらで本当になんとかしなくちゃな。
「起こしちゃったでしょうか」
「いや。わざわざ悪いな」
 ライダーブーツを履いたままの両脚を揃えてベッドから振り下ろす。
 ためらいをふっ切るように弾みをつけて立ち上がると、まっすぐにナムのもとへと歩み寄った。
 急のことに、ナムは身体を庇うように手を持ち上げ、一歩下がる。
 プリスを見つめるナムの瞳が揺れている。
 まず、これからさ。
 プリスは思った。
 さっと伸びたプリスの手が、ナムの片方の手を掴んだ。
「あ、」
「自由になろうとしてここまで来たんだろ」
「プリス…さん?」
 とまどいながらナムは今一度、プリスの顔を見つめた。
「まず最初はそいつだな。オレはプリス、“プリス” さんじゃない。シルヴィーは、そう呼んでくれた」
 プリスはナムの細い指を握る手に力を込めた。
「情けない顔するなよ。お前たちは、シルヴィーよリ遠くへいかなけりゃいけないんだぜ。教えてやるよ、これから。シルヴィーやアンリが手に入れかけていたものを」
 ナムにはやっとプリスが言おうとしていることが分かった。
 プリスの手の温もりが分かった。
「はい」
 ぎこちなく頷くナム。
 プリスはそのナムに破顔して応えた。
 やってみるぜ、オレのやリ方で。
 シルヴィーに向かって、プリスは脳裏で呟く。
 “お願いね…みんなのこと”
 どこからか声がした。
 シルヴィーが微笑んだ。
 プリスは思った。
 振り返ったが、無表情な暗がりには何も見えない。
 「じゃ、いくか」
 ナムの肩を抱くようにしてプリスは暗い仮眠室を出た。

 研究所を出てから二人とも口を開かなかった。
 ゲノムの主張では、開発研究所から奪われたのは確かに3機のアラクネだった。
 しかし、昨夜、彼らが仕留めたのは2機でしかない。
 では、残る1機の行方はどうなる。
 ここへ来るまでは何者かの犯行を阻止したと考えていたレオンとデーリーだったが、それはまったくの間違いかもしれないのだ。
「まっすぐ戻るの?」
 7区からハイウェイに上がって、ステアリングを握るデーリーが尋ねた。
「いや、USSDへやってくれ」
「やっぱり、ね。でも、今からじゃ遅すぎるかも…」
 デーリーは、走路ガイドから送られる交通情報をフロントウインドーで読んで、パトカーのオートクルーズをセットする。ステアリングから手を放し、パネルからハンドセットを取る。
 パトカーは公用車の最優先コードを出しながら、最高速で自動走行を開始した。
 渋滞で名高いティンセル・シティのハイウェイを、一般車に道を譲らせながら快調に速度を上げる。これが、サイレンと回転灯を使わないで渋滞を切り抜ける、最も簡単な方法だった。
「そりゃ、3機目を見つけ出せるとは思わん。だが、まだ分からん。ゲノムがこっちをハメてきてる可能性だって残ってる」
 レオンは渡されたハンドセットのテンキーを叩く。
「どっちにしろ、手配だけはしなきゃな」
「うちと、USSDだけじゃ無理よ。NPやアーミーにも協力してもらわないと。いくらでっかいたって、MEGA・TOKYOにブーマ1台、何処にでも隠せる」
 デーリーは両の手の平を上に向けて肩をすくめた。ぐるりと見渡せば視界をさまざまな高さのビルが埋め尽くしている。
「だろうな」
 相手が出るのを待ちながらレオンは考えた。
 疑問点を整理する。
 ラボからUSSDに送られた情報を犯人は狙っていた。
 そのためにゲノムの試作ブーマを使った。
 アラクネでなければならなかったのか…?
 3機のうち2機を囮にした。
 そこまでする必要があったのか…?
 残る1機は犯人のもとに戻ったのか、そうでないのか?
 そして…。
“こちらADP本部”
「レオンだ。うちの部長、頼む」
“はい。気をつけて下さいよ。荒れてますからネ”
「だろーな」
 無線の向こうでオペレータがくすりと笑った。
 これで、またUSSDへ行くなんてったら…。
 湯気を立てて怒鳴り散らす部長の様子が見えるようだぜ。
「ちょっと!」
 デーリーの叫びと同時にパトカーが急に速度を落とした。レオンは危うくフロントパネルに頭をぶつけそうになる。庇ってのばした右手がパネルにぶつかり、握り締めていたハンドセットが激しくフロントガラスに叩きつけられた。
「レオン、前!!」
 レオンが身体を起こすより先にデーリーが怒鳴った。デーリーは、左手で素早くオートクルーズを解除しながら、右手でステアリングを切る。途端に閃光が走った。レオンの左、助手席のサイドウィンドーをオレンジ色の炎が砥めた。真横から強烈な爆風が襲いかかる。二人を乗せたパトカーは煽られ、スピンしながら右に弾かれた。
 ハイウェイの側壁にリアを叩きつけるようにしてパトカーは止まった。
「どっからだ!?」
 レオンが声を張り上げる。
「まん前、スチールブルーのトレーラートラックよ!」
 デーリーは、必死にスターターを操作するが、どこをどうやられたのかエンジンはうんともすんとも応えない。
「お手上げ!」
 レオンに向かって小さく肩をすくめ、デーリーはフロアに転がったハンドセットを掴んだ。腕をクロスさせるようにして左手でドアを押し開ける。車内にどっと熱気が吹き込んでくる。レオンも助手席のドアを開けようとした。しかし、爆発のショックで歪んだのかびくともしない。
「くっ!!」
 シートを掴んで身体を支え、両脚をそろえて思いきり蹴る。鈍い音をたててドアはようやく開いた。その隙き間から外へ滑り出るレオン。
 ドアの陰に身を隠しながらレオンは前方をうかがった。
 トレーラーが横転し、炎を上げていた。
 その向こうで火柱が上がる。別の車のメタノールタンクに火が入ったのだろう。 黒々とした煙が辺りを包む。
 その炎と黒煙を背にして、人型のシルエットが見えた。
 距離にして30メートルだろうか。シルエットとレオンたちとの間にはひしゃげて引っ繰り返っている小型車が1台あるだけだ。
 ブーマ…。
 レオンは右手の銃の感触を確かめる。
 44口径クイックシルバーには、対ブーマ用の特殊カートリッジがローディングしてある。珪素合金製ジャケットと超高速装薬のコンビは軍用C系列ブーマの装甲でさえ貫通するはずだ。
「こちらデーリー。ハイウェイ17、ハコザキ・ランプ付近でコードCに遭遇、至急応援をお願い!」
 傷だらけになったパトカーの反対側でデーリーがハンドセットに怒鳴っている。
 ブーマは二人に向かって脚を踏み出した。
 レオンは両手でグリップを支え、クィックシルバーを構えた。
 デーリーも自分の38口径を抜いてブーマに向ける。
「5分で哨戒中のワスプが来るって…」
「間に合えばいいけどな」
 応えながらレオンは思い出していた。
 いつものヤツとはかなリ感じが違うぜ…。
 けど、どこかで。
 ブーマは悠然と、まるでその姿を見せつけるように自身に満ちた足取りでやってくる。
 ボディビルダーのカリカチュアのような、見慣れた外形ではなく、どちらかというとほっそりとしたシルエットは衣服を着けていないだけの人間のように見える。
 ただ、ベールグリーンに鈍く輝く皮膚が人間との違いだ。
 まるでブロンズでできた動く彫像。
 そうか…。
 レオンは気付いた。
 同時にブーマが立ち止まった。
 あのときのやつ…。
「今回は警告だ。USSDの件からは手を引け」
 ブーマは口を開いた。
 …声は違う。
 だが、レオンは確信した。
 やっと同じ…か。
 赤い光を放つ両眼がレオンに向けられる。
「我々に敵対しようなどと考えないことだ」
「ご親切なこった」
 照星越しにブーマの顔があった。
「今日、終わりにしてもいいんだぜ」
 レオンの応えにブーマは唇の端を歪めた。両頬に縦に走る細いシームが微かに震えたように見えた。
 こいつ、笑ってやがる。
「噂通りの自信家だな。レオン・マクニコル」
「ああ、商売柄、悪党のいうことはきかねえことにしてる」
「来たわ!」
 デーリーが短く注意を促した。レオンはかすかに頷く。
 ガスタービンの響きとローターが空気を切り裂く唸りが近づいてくる。
「ここまでだ。あとの話は本署で聞こうか」
 ブーマはレオンの言葉を無視して視線を上げた。
「動くな!」
 レオンは声を張り上げた。隣でデーリーがハンドセットからワスプのパイロットに指示を飛ばしている。
「警告はこれが最後だ」
 ブーマが再び赤い目をレオンに向ける。
 両の拳を握ると右腕を斜めに上空を差すように伸ばす。
 何をする気だ…?!
 その途端、レオンの視界の中でブーマの姿が膨れ上がった。
 そう見えた。
 全ては同時に、パノラマのように展開した。
 デーリーがハンドセットのマイクに怒鳴った。
 レオンはトリガーを絞った。
 全身を凄じい衝撃が叩いた。
 上空で大きな火の玉が炸裂した。
 やりやがった…!
 彼の目の前が真っ白になった。
 ハイウェイのラミネート舗装に身体が叩きつけられた。

 そこでレオンは意識を失った。



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