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「…例えば、こんな話はどうだい」
「はい?」
 亜美が顔を上げると、頭の後ろで腕を組んだはるかは背もたれに体重を預け、天井に並ぶ蛍光灯の列を見つめるようにして話し始めた。
「昔話だよ。あるところにとても栄えた王国があった。そこには、女王と彼女を守るための特別な戦士たちがいた。つまらないかな?」
「い、いいえ」
 茫然とはるかを見つめていた亜美は、慌てて首を左右に振った。
 戦士…って!
 いきなり心臓を掴み出されたとしても、これほどは驚かなかったのではないだろうか。そう思うほど、亜美はショックを受けていた。
 彼女の内心を読んでか、はるかの瞳の輝きが変わった。
 そう思った。
 だが、はるかはそのまま話を続ける。
「戦士たちは、王国と女王に忠実だった。与えられた使命に従い、使命を第一に働いた。自らの命を懸けることも厭わなかった。そのような戦士たちは、キミの言うピュアな心の持ち主、かな」
「…そう思います」
 じっと見つめられた亜美は、ごく自然に質問に対して頷く。
 レイちゃんや、私…まこちゃんたちも…。
 単なる昔話にしては、あまりに自分たちを指し示すものが多すぎる。亜美は、背筋が冷たくなるような怖れを感じ始めていた。
「いいだろう。でも、ね。物事には何にでも表と裏があるんだ」
 はるかが薄く笑った。それは彼女が今まで見たことのない、冷たい表情だった。
「この昔話も例外じゃない。王国は栄えていたが、それは他国をありとあらゆる手段で押さえつけた結果、得られた繁栄だった。王国の中でも、繁栄を享受できた層はあまり多くはなかった。国内でも、国外でも王国と女王のやり方への反発はどんどん高まっていった。しかし、戦士たちは王国の正義を信じて疑わなかった。敵対する “悪” を滅ぼすために力を振るった。でも、戦士たちのすべてが王国の正義のために戦っていたわけではない。わずかながら、そうではない者たちもいた」
 はるかは、アルトのよく響く声で話し続けた。
 そうでない者…。
 私たちと、あの謎の二人。
 …、はるかさん!?
「王国の活動のすべて、王女の思惑、それを知っていてなお、王国のために手足のように働く戦士たち…。説明すればそんなところかな。“きたない” 仕事だと知りつつも、王国のために無垢な命を消すことさえためらわない。さしずめ、ピュアでない心の持ち主、ということかな」
 はるかの片方の眉がぴくりと跳ね、視線だけが、亜美に向けられた。
「あるとき、決定的な危機が王国に迫っているという話が伝わり、戦士たちはその真相を探るために派遣された。それは過酷な任務であり、ピュアな心の持ち主にはとても務まりそうもないことだった。女王は、ピュアでない戦士たちを送った。当然、彼らの方が、自分の思惑のためにずっと役立つと知っていたからだ」
 話は亜美の思いも寄らない方向へと進み始めていた。
 いま、はるかさんが話していることが、私たちの過去だとしても、月の王国のことだとしても、私の記憶には、ない。
 そんな事実は一欠片もない…!
「事実、危機が迫っていることは判明した。危機というよりは、破滅といっていいほどの重大な事態だと分かった。女王は、それへの対策をも戦士たちに命じた。一方、ピュアな心の持ち主たちは、箱庭のような平和を守ることにあいも変わらず心を砕いていた。で、どうなったと思う…?」
 再び、はるかは尋ねた。
 彼女の顔に、もう笑みはない。まっすぐに亜美の瞳を見つめている。
 破滅って…まさか、レイちゃんが見たというイメージのこと…?
「分からないよね、当然だ」
 そこで、はるかは瞳を閉じると、一拍間おいた。
「滅びてしまったんだよ、王国は…」
「…その迫ってきた破滅のせいですか?」
 まるで、再び開かれたはるかの瞳に強要されたかのように亜美は質問せずにはいられなかった。
 はるかはゆっくりと頭を振った。
「いや、違う。派遣された戦士たちが破滅との戦いに力を注いでいる間に、王国は、隣国とのささいな紛争からあっけなく崩壊した。よほど、過去の罪悪がつもっていたせいかも知れない。理由は分からない。残されたピュアな心の持ち主は、全力で戦ったが、ついに王女も王国も、どちらも守ることは出来なかった。派遣された戦士たちが戻ったとき、故郷はただの廃墟だった。そういう昔話さ」
 守ることは出来なかった。
 その言葉は、亜美の心を深く突き刺した。まるで、自分の存在自体を否定されたようだ。
「頭のいいキミには、陳腐なたとえ話だったかな」
 はるかは薄い革のブリーフケースに手を伸ばし、立ち上がった。
「ピュアな心、っていっても、その程度のものだと思うな、ぼくは。じゃあ、ぼくは失礼するよ」
 視線は合わせずに背を向ける。
 亜美は沈黙したまま、じっと座っていた。
 たとえ話ではなかった。それは、私たちの過去と…、そして…。
「余計なことに首を突っ込まないで、自分の好きなことをやった方がいい」
 振り返ろうとした亜美の背中に、今一度、アルトの声が響いた。
 静かな足音がゆっくりと遠ざかっていく。
 椅子に腰掛けたまま、亜美は振り返ることもできなかった。彼女の最後の言葉に呪縛されたように、動けなかった。
 どうして。
 今の話が、本当だとしたら、どうして私たちは協力できないの?
 なぜ、余計なことなの?
 亜美は思った。
 それほど、はるかの声は冷たかった。



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