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§ 幕間 翌日はどんよりと曇った一日だった。 リンナは日課の早朝ランニングを済ませてから、用意の作業着とアポロキャップに着替え、サブウェイでMEGA・TOKYOの中枢地区にある公共駐車場へと向かった。連夜の出勤の疲れのせいか寝過ごしたネネは、また危うく遅刻しかけ、今度はロビン主任にたっぷりと説教を食らった。 シリアは軽い朝食を済ませ、データルームに入り、予定の仕事を片付けるとどこかへ外出した。既にエンジニアリング・スクールの冬期休暇に入っていたマッキーは、一日中、あれこれと二人の新客のために飛び回っていた。 依然としてかたくなな態度を崩さないメグ。 一方、ナムは進んでマッキーを手伝おうとするまでになっていた。 「私にはわからない」 「何が?」 テーブルを拭いていたナムは振り返った。ライムグリーンのトレーナーが肱まで捲り上げられている。 「どうして、あんなヤツらと笑って話せるのか…」 「あんなヤツ、じゃないわよ、メグ。シリアさんとマッキー」 クリーニング・クロスを握ったまま、両手を小腰に当てると、わざと怒ったような口調でメグを睨んだ。が、すぐさまその口元に微笑みが浮かぶ。 ナムの明るい表情にメグは戸惑う。 ベッドに腰掛け、膝に両肱を突きながら祈るように手を組み合わせている。その組んだ手の上に顎を載せるようにして、フロアに敷かれた厚い絨毯に視線を落とした。 ここは、二人のために提供されている部屋だ。元は、というか前日まではマッキーの私室、二つある内の片方だったのだが、彼の荷物はまとめて残る寝室の方に押し込まれ、代わりに二人分のベッド、テーブルや椅子などが運び込まれていた。 「人間なんて…」 「それじゃ、だめだと思う」 「何が?」 顔を上げるメグ。 「だって、これからは、この世界で暮らしていくんでしょう?」 ナムは再びテーブルを拭き始めた。きゅっ、きゅっという小気味のよい音が響く。 「それとも、誰もいないところに行くの? 私は、ここに居たい。本当に自由になれるなら、いろんな人に会えるところに居たい。どこかの街に住みたい」 ふと、クリーニング・クロスの鳴る音が途絶えた。 「もう、誰もいないところに閉じ込められているのは嫌なの…」 「ナム…」 メグは立ち上がった。 両手をテーブルに置いている、ナムの小さな背中に歩み寄る。 そっと彼女の肩に触れた。 ナムが振り向く。 「ここまで来たんだもの。いろんなことを知らなきゃいけないと思う」 ナムが言った。 意外だった。 てっきり、泣いていると思ったのに…。 メグの目の前にあるのは、ついさっきまでと変わらないナムの笑顔だった。 じっとメグに見つめられているのに気付いて、ナムは頬を赤らめた。 「だから、メグ、あなだだって」 「え…」 「今のようじゃだめ。喋ろうともしないでしょう。好きになれなくたっていい。でも、決めるのはみんなを知ってからにして…」 メグは灰色をしたナムの瞳を見た。 「ナムは、知っているの、理解したの? だから、受け入れたの?」 尋ねるメグに、ナムはかぶりを振った。 「ううん。そうじゃないけれど、信じたいと思ったの。少なくとも、ここの人たちだけは…。だから…」 それで、そんなことだけで。 メグは言い返したかった。 これまで、人間が私たちに何をしたのか忘れたの、と。 しかし…。 確かに、私たちが知っていたのは、あのステーションの中だけなのだ。 顔を会わせたことのある人間は、両手の指の数にも満たない人数。 ティンセル・シティでは無数の人に出会った。 私に関心も払わない顔の群れ。 そして、ここにいる不思議な女性たちと少年。 どちらが本当の人間なのだろう。 メグは自信がなくなリ始めていた。 「メグ…?」 声を聞いて、メグは心配そうに自分の顔を見上げているナムに気付く。 「あ、ごめん」 我に返ったメグは、意識をはっきりさせようとするかのように軽く頭を振った。 赤い前髪がぱさりと額にかかる、それをかき上げながら考えた。 “彼” とのコンタクトが取れない間、その間だけでもナムの言う通りにしてみようか。 何も知らないのは確かなのだ。 知ろうと努力してみるくらいは、無駄にはならない。 「仕方ないわ。努力してみる」 メグはそう言って、肩をすくめた。 「ほんとうに?」 「ええ」 メグの言葉を聞いて、ナムの顔に微笑みが広がった。 「あんまりとんがるのはやめる。しばらくは、リラックスしなきゃね」 そこへ、ノックの音がした。 二人が同時にドアを振り向く。 「あのぉ…」 開けたドアの隙き間からひょいと顔を出したのはマッキーだった。 「足りないもの、ありますか。言ってもらえれば用意しますけれど?」 順にナム、メグの表情をうかがう。 こいつ、か。 メグはまじまじとマッキーの顔を見つめた。 もしかしてナムがこんなに変わった原因、かも。 ひょろっとしてどことなく頼りなげなやつ。 メグと視線が合ってしまったマッキーは、思わず腰が引ける。 「な、なにか、」 「ううん、今のところなんにもない。とても良くしてもらっているから、ね」 「はい」 ナムとメグは顔を見合せた。 「それならいいんですけど…」 マッキーは二人の顔を見比べながら、何があったのかと戸惑いの色を隠せない。 何しろ、今までろくに口をきいてくれなかったメグが、彼に感謝しているというのだ。 ひっこもうかどうしようか、きょろきょろし続けるるマッキー。 こんなのが、なんか企んでるわきゃ、ないよ。 そう考えたら、メグは急に可笑しくなった。 くすりと、メグが笑った。 初めてのメグの笑顔にマッキーは、どう応えていいか分からない。 ただ、一つだけ分かったことがあった。 彼女もここになじみ始めているんだ。 マッキーは思った。 4時を回れば辺りは夜の色に染まる。 MEGA・TOKYOの中心。 周囲を圧して聳える円錐台形の建造物、ゲノム・タワーにも鮮やかな灯がともった。 丘のような黒い陰が、濁った夜空を鈍く切り取り、光の点がその中に正確な直線で幾つもの幾何学図形を描いている。 直線が集まる最頂部には塔のすべてを統べる会長の執務室がある。 執務室には二人の姿があった。 一人は細い枯れ枝のような印象を与える老人。 もう一人は女性だ。 ゴシック様式の礼拝堂を模した部屋の中央に、ガウンをまとって立っている。 「よかろう」 紫檀で作られた巨大なデスクの後ろから低い声が促した。 女性はコンマ何秒かためらった。 しかし、ほっそりとした指でガウンの紐を解く。 かすかな絹ずれの音とともにはらりとガウンが落ちた。 その下から現れたのは眩しいような裸身。 クインシーの視線が頭、胸とゆっくり上から下へ降りていく。 肩にかかる蜂蜜色の長い髪、白く滑らかな肌、完璧な曲線を描く身体のライン。 小振りだが形のいい胸。すらりと伸びた手足。 「確かに…」 ひとこと呟くと、老人は満足げなため息をついた。 予想以上だ。 これならば、やっと辿りつける。 こちらを真っ直ぐに見つめている女性に向かって、彼は頷いた。 「すまなかったな。もう、下がってよい」 タワーに働く数万の人間、恐らくその誰一人として聞いたことない穏やかな口調で老人は続けた。 「次に会うときを楽しみにしておるぞ」 その声を待ち構えていたかのように、胸壁の背後から幾つかの人影が進みでた。 サポート用ブーマだ。 人間よりも古典的なロボットに似せた外観をした特製ブーマたちは、床に落ちたガウンを拾い、女性に渡す。そして、かしづくように両脇と前に立って巨大なブロンズ製の扉へ導いていった。 音もなく2枚の扉が手前に開く。 部屋の外を取り巻く回廊に出て、女性はふと肩越しに振り返った。 紫檀の机の向こうに老人の背が見える。 老人は、外壁に作られた、天井にまで届くステンドグラスを見つめているようだった。 再び扉は音もなく閉じて部屋の情景を彼女の視界から奪い去った。 あれが、ゲノムの支配者…。 ルウは初めてクインシーの姿を知った。 陽の射さない一日が、凍えるような夜に変わった。 鉄とセラミックの塊、MEGA・TOKYOは、急速に熱を失い始めていた。夏は逆転層の下に熱だまりをつくり、初夏のうちからしまりのない人工の熱帯夜を生み出す同じ街が、冬はあっという間に巨大な冷却機になる。 時間が遅くなるにつれて空気はしんしんと冷え込む。 人々は白い息を吐きながら家路を急いだ。 「どうしたんだろう」 マッキーが首を傾げた。 「なにが…?」 籐椅子でくつろいでいたシリアは、カップをコーヒーテーブルに戻した。 「今日、来なかったんだ。プリスさん」 「プリスが」 「うん」 先に部屋に引き揚げたナムとメグのマグカップを片付けながらマッキーは頷いた。 「ナムさんやメグさんのことでばたばたしてたから気付かなかったけど、一回も顔を見せなかった」 「心配なの?」 「そういうわけでもないんだけれど…」 シリアが尋ねるとマッキーは口ごもる。 「あの二人のこと、まかされたでしょ。だから…」 トレーの上に空のカップと受け置を重ねて、マッキーは立った。 「そんなに急ぐことはないわ、マッキー。プリスにだって、ちゃんと考えがあるだろうし」 「そうかな」 「当たり前でしょう。プリスはあなたなんかより、ずっとしっかりしてるもの。そう思わない?」 シリアはにっこり笑みを浮かべ、テーブルからカップを手にとる。 「また、姉さんはそういうことを言う!」 むっとしたマッキーはくるりと背を向けると、トレーを持ってキッチンヘ出ていってしまう。 しょうがない子。 シリアは思った。 まだ事件は始まったばかりだもの。 急ぐことはない。 プリスのことを頭の片隅で考えながら、シリアは残った紅茶の香りを楽しんだ。 同じ頃、リンナとネネの元にプリスからの電話が入っていた。 |
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